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龍馬の「婚約者」美人だった 話題が話題を呼ぶニュース

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龍馬の「婚約者」美人だった

目の前に甲冑があったら装着したいと思うのがロマンですよね。

勉強に関しては断然世界史よりは日本史派なわたくしですが、日本の武士の甲冑よりは、なんとなくこういった西洋の鎧の方に心惹かれます。

ちょっと前にもてはやさ日本史とか毎年情報変わってるし、姪が使うまでまだ何十年もあるし。

それを片づけてもこの部屋には本が多すぎる。

建築本を含めて検定本やインテリア雑誌やONE PIECE57巻分で部屋を埋め尽くしています。

笑 …吹奏楽の譜面やスコアは処分してもいっか。

華道や茶道、俳句などの歴史を紐解けば、市民(日本史の中では町民)がその担い手となってきた歴史がそこにはあります。

特に江戸時代はそれが顕著で、武士よりも町民がその担い手となってきたのは明らかです。

女子1グループ(日本史、主にクラスの外にいる) 女子2グループ(世界史、女子の6割はここ) 女子3グループ(地理、また違ったカラーを持つ) こんな派閥間でばらばらやってましたからねえ。

class=popup_img_867_625 width=560 height=404)]] S高校の二人明日の期末試験の勉強中♪一休み・・

♪ 腹ごしらえに来ました! ユウヤ君は地理・・



・ シュンスケ君は日本史です。

”お腹いっぱいになったし、さあ”もう一頑張り■ 『なつかしの映画・TV番組(うら話)掲示板』 ■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』 ■ 『きれいになったと感じさせる下着・ランジェリーを見つけませんか?』 ■ 『現在に通じる古代オリエント史の散歩道』 ■ 『見て楽しい。

 坂本龍馬(1835〜67)が江戸で剣術修行中に知り合い、婚約したとされる千葉佐那(さな)が、飛び切りの美人だったとの記述が、愛媛県宇和島市に残る宇和島藩8代藩主・伊達宗城(むねなり)(1818〜92)の記録「稿本藍山公記(こうほんらんざんこうき)」(宇和島伊達文化保存会蔵)にあることがわかった。

 龍馬研究者の宮川禎一・京都国立博物館学芸部室長が確認し、「同時代史料で確認できたのは初めて」と話している。

 佐那は北辰一刀流の達人千葉周作の弟、定吉の娘で、定吉の道場に学びに来た龍馬と知り合い、婚約して結納を交わしたとされる。

 公記は宗城の直筆の日記などから明治期にまとめられたもの。安政3年(1856年)6月19日の項で、当時19歳だった佐那が「世子殿」(9代藩主宗徳(むねえ)、当時27歳)の剣術の相手をして打ち負かしたくだりに「左那ハ、容色モ、両御殿中、第一ニテ」などとあった。伊達家の御殿は江戸に2か所あり、出入りする多数の女性の中で、宗城が佐那を一番の美人とみていたことが読み取れる。

 安政3年は佐那が龍馬と知り合った少し後で、伊達家の姫君の剣術教師だったらしい。
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2010/03/21(日)  | 未分類

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